人物 | キーワード(著書、業績など) |
聖徳太子 | 三経義疏(さんぎょうぎしょ)を著した。 |
和気氏の大学別曹 | 弘文院 |
藤原氏の大学別曹 | 勧学院 |
橘氏の大学別曹 | 学館院 |
在原氏の大学別曹 | 奨学院 |
菅原氏・大江氏の大学別曹 | 文章院 |
石上宅嗣 | 詩文と書にすぐれ,「経国集」「万葉集」に詩歌がある。奈良の自邸を日本初の公開図書館「芸亭(うんてい)」とした。 |
空海 | 真言宗の開祖。京都に日本最初の庶民学校である「綜芸種智院」を設立。 |
最澄 | 天台宗の開祖。比叡山の僧侶のために、『山家学生式』(天台宗の養成規則)を著した。 |
親鸞 | 浄土真宗の開祖。 |
栄西 | 臨済宗の開祖。 |
道元 | 曹洞宗の開祖。 |
日蓮 | 日蓮宗の開祖。 |
法然 | 浄土宗の開祖。 |
北条実時 | 金沢文庫を創設。(鎌倉時代) |
世阿弥 | 『風姿花伝(花伝書)』にて能楽の芸術論を述べた。 |
上杉憲実 | 鎌倉在住の頃,所領下野の足利学校を再興し,書籍を集め学徒を養成していた。「坂東の大学」と称される。(室町時代) |
林羅山 | 江戸前期の儒者・朱子学者。上野に開いた私塾「弘文館」は昌平坂学問所の起源となる。 |
貝原益軒 | 『和俗童子訓』 |
熊沢蕃山 | 岡山藩の藩校「花畠教場」開設。 |
山鹿素行 | 私塾(道場)「積徳堂」 『聖教要録』 |
中江藤樹 | 私塾「藤樹書院」 『翁問答』 |
伊藤仁斎 | 私塾「古義堂」 『童子訓』 |
広瀬淡窓 | 私塾「咸宜(かんぎ)園」 |
荻生徂徠 | 私塾「蘐園(けんえん)塾」 『政談』 |
緒方洪庵 | 私塾「適塾」 |
吉田松陰 | 私塾「松下村塾」 |
本居宣長 | 私塾「鈴屋」 『古事記伝』 |
平田篤胤 | 私塾「気吹舎」 |
細井平洲 | 私塾「嚶鳴館」 |
P.シーボルト | 私塾「鳴滝塾」 |
大原幽学 | 私塾「改心楼」 性理の道を明らかにし各地を巡り農村振興に尽した。 |
池田光政 | 岡山藩に郷校「閑谷学校」を創設。 |
石田梅岩 | 石門心学の祖。 実践的倫理思想をわかりやすく説き、町人層に歓迎された。 『都鄙問答』 |
安藤昌益 | 封建社会と、それを支える儒学・仏教を批判。すべての人が平等に生産に従事して生活する「自然の世」を唱えた。 『自然真営道』 |
田中不二麻呂 | 明治12年に学制を廃止して教育令を制定する。 |
森有礼 | 明治18年に初代文部大臣に就任。諸学校令を制定。 |
元田永孚 | 教育勅語の草案を作成して天皇制国家の思想的基礎を固めた。 『幼学綱要』編纂。 「教学聖旨」 |
井上毅 | 法制官僚として大日本帝国憲法,皇室典範,教育勅語等の起草に参画した。「教育議」起草。 |
ハウスクネヒト | ドイツ人の教育家。日本にヘルバルト派教育学を導入した功績者。谷本富,湯原元一,稲垣末松らの教育学者を育てた。 |
中村正直 | 昌平坂学問所に学び、英国留学後、明六社の設立に参加し、啓蒙思想の普及につとめた。 訳著「西国立志編」「自由之理」。 |
津田梅子 | 津田塾大学(女子英学塾)の創立者。女子教育,特に女子の英語教育の指導者。 |
岡田良平 | 大正6年(1917)内閣直属の諮問機関として臨時教育会議を設置し、学制改革を実施。文相などを歴任。 |
澤柳政太郎 | 成城小学校(成城学園)を創立し,「ドルトン・プラン」の導入など大正期の自由教育運動に貢献した。 『実際的教育学』 |
及川平治 | 教育者、大正自由教育の実践者。主著『分団式動的教育法(1912)』,『分団式動的各科教育法(1915)』は,それまでの画一的な詰込み教授を批判し,児童中心主義の理論にもとづく教育のあり方を実践的に示したもので,当時の教育界に大きな影響力をおよぼした。また,1921年の夏に開催されたいわゆる[八大教育主張講演会]でも「動的教育論」を講じた。 |
羽仁もと子 | 新教育運動に参加し,1921年「自由学園」を創立して,生活教育を推進した。 |
木下竹次 | 大正8年から約20年奈良女高等師範学校付属小学校主事を兼任。子供の自律的学習を基本にした「合科学習」を実践し,11年に創刊した雑誌「学習研究」を通じて全国に普及させた。 |
下中弥三郎 | 1914年(大正3)平凡社を創立し、百科事典類を刊行。19年日本最初の教員組合「啓明会」を創始。 |
小原國芳 | 『全人教育論』(八大教育主張のひとつ)を展開して新教育運動の指導者として活躍し,昭和4年玉川学園を創設した。 |
赤井米吉 | アメリカのH.パーカーストが創案した教育計画「ドルトン・プラン」を紹介。大正13年明星学園,昭和21年金沢女子専門学園を創立し,自由教育の実践につとめた。 |
西村伊作 | 大正10年与謝野鉄幹・晶子らの協力で文化学院を創立し,芸術を重視した自由な学風の教育を目指した。 |
桜井祐男 | 兵庫県芦屋に芦屋児童の村小学校を開設。 |
上田庄三郎 | 「神奈川県茅ケ崎の雲雀岡(ひばりがおか)児童の村小学校」を創設。 |
稲毛金七 | 大正の新教育運動のなかで『創造教育論』(八大教育主張のひとつ)をとなえた。 |
片山伸 | 『文芸教育論』八大教育主張のひとつ。演題「芸術教育の提唱」。 |
河野精丸 | 『自動教育論』八大教育主張のひとつ。 |
千葉命吉 | 大正10年八大教育主張講演会で子供の独創性を重視する『一切衝動皆満足論』を発表。 |
手塚岸衛 | 『自由教育論』八大教育主張のひとつ。 |
樋口長市 | 『自学教育論』八大教育主張のひとつ。 |
山本鼎 | 日本創作版画協会を創設,また児童の自由画教育,農民美術運動を推進した。 |
鈴木三重吉 | 大正7年児童雑誌「赤い鳥」を創刊、児童文学の発展に尽力。 |
野村芳兵衛 | 昭和4年「綴方(つづりかた)生活」,10年「生活学校」を刊行して生活教育運動を推進した。 |
野口援太郎 | 大正12年教育の世紀社を創設,翌年東京池袋に児童の村小学校を創立した。 |
小砂丘忠義 | 全国誌「綴方(つづりかた)生活」を創刊,また郷土社を設立して「綴方読本」を刊行。生活綴方教育運動の普及につとめた。 |
芦田恵之助 | 国語科の読み方教育と綴り方教育に独自の理論を展開。 『綴り方教授』『読み方教授』 |
山下徳治 | ソ連の教育を視察後マルクス主義教育学に関心をふかめ,昭和5年新興教育研究所を創設,プロレタリア教育の普及につくした。 |
家永三郎 | 1962年度の文部省検定において,自著の高等学校用社会科教科書『新日本史』が不合格となり,この処分などを不服として,国を相手に国家賠償請求訴訟(~第3次)を起こした。 |
新島襄 | 同志社英学校を創立。キリスト教精神に基づく教育に専念した。 |
伊沢修二 | 米国に留学後、唱歌などを作曲して日本の音楽教育を確立。晩年は楽石社をつくり、吃音(きつおん)矯正事業に尽くした。 『小学唱歌集』 |
高嶺秀夫 | 米国オスウィーゴ師範学校に留学。ペスタロッチ主義による開発教育を唱えるとともに、東京師範学校などで日本の教員養成教育の改革に貢献した。 『教育新論』 |
樋口勘次郎 | 「統合主義新教授法」を著し,子どもの自発的活動を重視する活動主義教育を主張。 |
谷本富 | ヘルバルト派教育学の紹介・普及に貢献した教育学者。 『実用教育学及教授法』 |
篠原助市 | ドイツの教育思想を紹介し,批判哲学に立つ観念論的教育哲学を確立した。文化価値を人間形成の作用に即して構造づけることに努め,個性の歴史化を主張。 |
倉橋惣三 | 児童心理学を研究し、自由遊びを重視した幼児教育をすすめた。 |
※参考資料:大学の講義・デジタル大辞泉・Wikipedia
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